石窟庵(ソックラム)・仏国寺(プルグクサ)は8世紀前後の統一新羅時代に作られた古代仏教遺跡です。この2つの遺跡は新羅時代の人々の創造性豊かな芸術的センスが窺えるもので、中でも石窟庵の彫刻像や仏国寺の石造りの基壇および2基の石塔は、東北アジアの古代仏教芸術の傑作のひとつと評価されています。
石窟庵は花崗岩を重ねて造られた洞窟で、主室の中央に本尊が安置され、その周りの壁面に様々な彫刻像が配置されています。本尊を始め、ほとんどの石造彫刻と建築の形態は8世紀の原形のまま保たれており、大変価値のある文化遺産です。
仏国寺は新羅の理想郷である仏国土を実体化するために造られた建築物です。1592年の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)により木造建築はすべて焼失してしまいましたが、幸いにも石段、石橋、石塔、灯篭、青銅の仏像は無事でした。今日見られる仏国寺の建築物は、1969年から1973年の間に行われた復旧作業で部分的に再建されたものです。
主な遺跡
石窟庵の本尊
十大弟子浮彫像
石窟庵の本尊が制作された時代以前の仏像は立って微笑んでいるものが一般的でしたが、石窟庵の本尊は威厳のある顔つきで座っています。石窟庵の十大弟子浮彫像は特徴ある表現と芸術性で高く評価されており、生命感に溢れています。
仏国寺の釈迦塔
多宝塔
仏国寺の大雄殿の前庭には2つの石塔があり、西側にあるものが釈迦塔(ソッカタプ)で、この塔は無影塔(ムヨンタプ)とも呼ばれています。東側にある多宝塔(タボタプ)は、既存の新羅の石塔とはまったく異なった形式となっています。創建されてから大きな破損や外形の変化がなく、原形のまま保たれています。当時は寺院のメインの建物の前に同じ形の塔を置くのが一般的でしたが、釈迦塔と多宝塔はそれぞれ異なった形をしています。
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